目次
(1)常に人間は貧困との戦いである
世界には様々な問題がありますが、裏金も衣食住に関する問題は非常に大きなものと言えるでしょう。
特に品行はいつの時代もありました。
これは今の時代もそうですが100年前も500年前もそれより以前も常に人間は貧困との戦いだったわけです。
これをまず大前提に考えてみると、現代の時代は、不景気といってもなかなか裕福な時代だと考えられます。
特に日本に関しては、本当に食べるものがない人はごく一部しかいませんので、全体にみるとかなり恵まれた国たことが理解できるでしょう。
まずその点をしっかりと評価するしかありません。
ただ、そうはいっても何らかの理由により食べることができない人もいます。
この点は、日本国憲法で救われますので、国に頼れば取りあえず食べるものがなくなることはありません。
いわゆる生活保護と呼ばれるものです。
そうだとすれば、たとえどのような日本人でも日本国内にいる限りはぜいたくはできないにせよ食べるものは事足りるはずです。
それにもかかわらず、何も食べないで餓死するような人が出てくる理由は、人に頼るのか下手な人なのでしょう。
それ以外にも、さまざまなものがありますが、いずれも正しい方法を利用していないことが原因です。
国に頼めば何とかなりますので、本当の意味でる貧困は起こりません。
ただ、今の日本の状況がこれからさらに悪くなっていくと、食べるものはなくならないにしても、貧乏な人が増えてくるとされています。
(2)日本人は世界の上位10パーセントの裕福層に属している
実は、日本国内にいるとわかりませんが、日本人というだけで世界の上位10パーセントの裕福な人の中に含まれています。
日本国内で上位に入れない人でも、世界の中では常にトップレベルの豊かさを誇っていると考えるべきです。
人口が多いアフリカなどは明日食べるものすらありません。
日本人のように、1日に食事が3回できることもまずないでしょう。
興味を持ってほしいのは、なぜアフリカを食べるものがいるでしょうか。
日本との違いはいろいろありますが、一つは歴史的な違いといえるかもしれません。
歴史的な違いの一つは、日本は植民地を経験していないことにより他国から支配されることはありませんでした。
もちろん、現在のように米国に支配されているような状態になっていますので全く支配されていないかといえばそうではありません。
ですが、欧米列強の植民地化政策を中に組み込まれた国ではありませんでした。
少なくともアジアの中では最後まで自立を貫き通した国です。
(3)アフリカの歴史がもたらした悲劇
ところがアフリカはどうでしょうか。
アフリカは、大航海時代に奴隷としてアフリカ人がほかの国に連れて行かれるケースも少なくありませんでした。
また、その国に住んでいる人自体も、何かを作ることはできず、人が作ったものを購入するしかなかった状態です。
このように、植民地化政策の一つは、その国の弱体化させると同時に、技術的なものを知れないとして勉強しえないことが重要だわけです。
勉強させないことにより、植民地時代が当たり前と感じさせるようにできれば宗主国の価値になります。
少なからず、今と変わらないような感じで情報操作が行われたことを理解しておくべきです。
そのような時代が300年以上続いたところもありますので、国の発展が遅れて当たり前になります。
アフリカにせよ東南アジアにせよ、欧米列強の植民地支配をされていた所はたいてい発展途上国のです。
当然昔に比べれば随分と進歩していますが、まだまだ発展途上国から完全に両足が抜け切れていない状態になります。
そのような国では、貧困が起こりがちです。
特にアフリカ諸国は貧困で有名ですが、なぜアフリカだけが引っ込んだのかといえばそれは国を支配している政府がむちゃくちゃなことをするからです。
(4)直接国民に届くような仕組みを作り上げる必要がある
例えば、日本でもアフリカに対して募金をしようと考えて団体が出来上がり、そのメンバーたちが全国からお金を集めます。
時にはインターネットからも集めることもあるでしょう。それだけでなく日本ユニセフなど有名団体などもあり、そのようなところは国民から善意のお金を集めることにし、アフリカに送ろうとします。
実際にアフリカに送ったらどのようになるかといえば、国の政府の役人が使ってしまいます。
もちろん国いたために使えばよいですが、私腹を肥やした見つかってしまうケースが少なくありません。
このように、いくら豊かな国の人間が援助しようと思っても、結局国民に届く前の段階でどこかに消えてしまうのが一般的な発展途上国から抜け出せない理由といっても過言ではないわけです。
ではどうしたらよいかといえば、少なくとも直接国民に届くような仕組みを作り上げるしかありません。
いったんその国の政府に預けるのではなく第3者機関が入り込みしっかりと担当してくれるところを祈るのみです。
教育に関しても力を入れなければならないところですが、学校はいくらでも作れるにしても、担当する先生がいませんので先生の育成から始めなければなりません。教育の水準が高まれば、国自体もよくなっていき最終的に貧困から抜け出すことができるようになるでしょう。
最終更新日 2025年7月2日 by okazus