❶山本昌について
山本昌は神奈川県茅ケ崎市出身の元プロ野球選手です。
本名は山本昌広、1965年8月11日生まれで現在は野球解説者、野球評論家、スポーツコメンテーターを職業としています。
生まれた時は体重が4200gもあり、母親は相撲取りにするしかないと言っていたそうです。
1歳の時に自宅アパートから転落して死にかけ、頭蓋骨陥没骨折により1ヶ月の入院をしました。
左の額の上から右の後頭部にかけて骨折の跡が残ったほどの大ケガで当時の医者に「今夜がヤマ」と言われた事もあるようです。
幼少期は習い事なども流行っていなくて野球で遊ぶのが当たり前の環境、そして小学3年生の時に初めて野球チームに入りました。
中学時代には軟式野球部に所属し、2年生の時には同級生の代わりにエースナンバーを託されました。
中学3年の夏、所属する野球部で神奈川県大会に出場し、その後は日大藤沢高にスポーツ推薦で入学しました。
この神奈川県大会出場で活躍した事によっていくつかの高校から勧誘があったようです。
❷2016年3月5日に引退試合、9月25日に50歳で現役を引退
高校2年の夏、高校3年の夏ともに神奈川県大会準々決勝で敗退しました。
高校卒業後は日本大学に進学するつもりでしたが、神奈川県高校選抜チームの一員として韓国高校選抜チーム相手に好投した事を評価され1983年のドラフトで中日ドラゴンズに指名を受けて入団しました。
中日ドラゴンズには1984年から2016年まで所属し、2016年3月5日に引退試合、9月25日に50歳で現役を引退しました。
引退後はテレビやラジオで野球解説者、新聞で野球評論家として活動し、日本経済新聞ではコラムを連載しました。
その後はスポーツコメンテーターやテレビのゲストで随時出演もしました。
2017年には学生野球資格回復研修会を受けて指導資格を習得し現在は日大藤沢高校野球部の特別臨時コーチを努めています。
山本昌の特徴である投球フォームはスリークォーター、持ち球はストレート、スクリューにカーブ、スライダーです。
❸車も好きで多数の外車を所有
野球選手としては大成しないと周りから言われる程の骨格だったが、山本昌はそのデメリットをメリットに変えたのです。
自己最速は43歳の時に東京ドームで出した143km/hです。
打撃では通算153犠打と日本プロ野球の投手史上最多となり、「隠れた犠打王」としてセントラル・リーグ公式サイトで紹介された事もあります。
多趣味な事でよく知られていますが、特に有名なのがラジコンです。
ショップには1週間に1度は必ず顔を出しレースにも積極的に参加している程のラジコン好きです。
また車も好きで多数の外車を所有しています。
最終更新日 2025年7月2日 by okazus